

2020年、菅義偉首相や中国の習近平国家主席が相次いで中長期的な脱炭素社会への取り組みを表明し、また同年の米国大統領選挙でジョー・バイデン氏が当選したことで、世界が一斉に脱炭素社会の実現という方向へ邁進することが決まりました。
脱炭素社会とはどんな社会か。これからの日本ではどのようなことが起きて、どのように変化していくのか。そしてその中で、製造業はどう対応していけば良いのか。世界経済に詳しく、実業家や投資家からの信頼が厚いエミン・ユルマズ氏にお話を伺いました。
取材・文/嶺 竜一(有限会社ハートノーツ) 写真/長野竜成
地球温暖化の原因と考えられる二酸化炭素の排出を無くすことを目指す脱炭素社会。日米の首脳が2050年までの脱炭素を宣言し、中国も2060年までの脱炭素目標を表明するなど、世界が一斉に脱炭素社会の実現に向けて動き始めました。この動きをどう見ていますか。
ユルマズ氏
よい流れだと思います。脱炭素社会へと向かう動きは以前、世界でコンセンサスが取れていました(2015年12月に気候変動抑制に関するパリ協定が採択され、16年にアメリカ、中国、EU、日本が批准)。アメリカのトランプ政権が17年にパリ協定から離脱してしまいましたが、バイデン政権になって復帰することを表明し、4年ぶりに元に戻ったということです。日米欧中で世界経済の7割以上を占めていますから、ほぼ世界がコミットしたと言って差し支えないでしょう。
脱炭素社会とは 、具体的にどのように実現されていくものでしょうか。
ユルマズ氏
脱炭素という言葉から多くの人がイメージするセクター(業種)は、エネルギーと自動車ではないでしょうか。化石燃料を使った発電から太陽光発電などの再生可能エネルギーに代替するとか、ガソリン車から電気自動車(EV)に代替する、といったことを思い浮かべる人が多いはずです。
確かにこの2つはCO2(二酸化炭素)を排出する非常に大きなセクターです。しかしこの2つに加えて、大きなセクターが3つあることを忘れてはなりません。そのうちの1つがセメント産業です。
セメントはそれほどCO2を排出するのですか?
ユルマズ氏
はい。セメントは現状ではクリンカという材料を加熱する工程で石炭を使い、大量のCO2を排出します。セメントは住宅やビル、道路インフラなどのあらゆる建設に必要不可欠で、世界中で使われていますから、いかにセメント製造のCO2排出量を減らすかということは非常に大きな課題です。
セメントは建設には欠かせない材料ですから、CO2排出を削減するのは難しそうですね。もう1つはなんでしょう?
ユルマズ氏
鉄鋼です。鉄は鉄鋼石と石炭を一緒に燃やすことで製造し、こちらも大量のCO2が発生します。世界の鉄の消費量は増加を続けており、2050年には現在よりも50%増えると試算されています。
生産が増加しているとするとこちらも削減は難しそうですね。3つ目のセクターはなんでしょうか?
ユルマズ氏
農業です。化学肥料の製造過程でCO2を排出するほか、家畜からも大量のCO2やメタンなどの温室効果ガスが排出されます。また、発展途上国で多く行われている焼畑農業もCO2を排出します。CO2排出量に占める割合は全体の4%以上とされています。
生産活動の基礎となるこれらのセクターが大きな方向転換をして、CO2排出を大幅に削減しなければ、脱炭素は進みません。
大きな方向転換というと、具体的にどんなことでしょうか?
ユルマズ氏
世界が脱炭素に向けて進むためには、さまざまな変化が起こりますし、私たちはその変化を受け入れなくてはなりません。
例えば、セメント製造のCO2排出を大幅に削減する技術は研究されていますが、現状に比べコストが何倍にもなります。鉄も石炭を燃やさず水素燃料を使用して製造するなどの方法がありますが、こちらもコストが跳ね上がります。
セメントや鉄などさまざまなモノのコストが上がるということは、われわれの生活やインフラにかかるコストが上がるということです。つまり、地球環境保全のために、モノの値段も、税金も上がるということです。
われわれはそのコストを受け入れなければならないわけですね。
ユルマズ氏
それだけではありません。農業からCO2排出を減らすためには、人が動物の肉を食べないように人工肉などに代替するといった方向性も模索されるでしょう。
つまり、脱炭素を実現するためには、単に車を電気自動車に乗り換えるといったことだけでなく、私たちの生活が根本から変わるということを知っておかねばなりません。
産業別にはどのような変革が起こりうるのでしょうか。例えばエネルギー産業では?
ユルマズ氏
多くの人がご存知のように、石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料から、太陽光、風力、その他のクリーンな再生可能エネルギーへと移行していくことが必要です。これは脱炭素社会を実現する上で最優先となる課題と言っていいでしょう。ガソリン車が電気自動車に変わっても、その電気が化石燃料から作られたものであっては何の意味もありませんからね。
しかしそのためには発電技術を現在よりも向上させるだけでなく、ほかにも重要な技術を2つほど革新していかなければなりません。
発電技術のほかに革新的な進化が必要な技術とはなんでしょうか?
ユルマズ氏
1つはエネルギーを貯めるバッテリー技術です。発電したエネルギーをいかにロスなく貯めて、自由に使うことができるか。この技術の進化なくしてエネルギー革命は起こりえません。
もう1つはエネルギーを移動させる送電網、スマートグリッドです。例えばアメリカは、東部はもう夜なのに、西部はまだ太陽が出ていて発電できる時間があります。自然由来のエネルギーは安定しにくいという課題がありますが、電気が余っているところから足りないところへ瞬時にロスなく送る技術、すなわちスマートグリッドの進化によって、この課題を解決できます。これにはAIのテクノロジーが重要になるでしょう。
スマートグリッドによる送電網では、工場や家庭などの電力消費者と双方向に繋がるのがポイント。余った電力を別の消費者に回すことで、効率的な電力供給が可能になります。
参考:中国経済連合会「スマートコミュニティの実現に向けた課題と今後の展望に関する調査」
エネルギー産業では発電技術だけでなく、蓄電と送電にも技術革新が進められていくのですね。では、ほかの産業、例えば日本を代表する自動車産業はどのように変革していくでしょうか?
ユルマズ氏
電気自動車(EV)と、二酸化炭素を排出しない水素によって動かす燃料電池車の2つが同時に普及していくでしょう。
EVがシェアを拡大していくのではないのですか?
ユルマズ氏
もちろん、ガソリン車に代わってEVが普及していくのは間違いありません。しかしそれは一般家庭用の乗用車の話で、バスやトラックなどの商用車は燃料電池車が主流になっていく可能性が高いのではないかと私は思います。
EVはバッテリーを積んでそこに蓄電した電力でモーターを動かしますが、大型車を動かすためには大きなバッテリーを積むしかなく、そうすると積載量が減少してしまう課題があります。またEVは軽油で動くディーゼル車と比べるとまだまだ割高なので、購入できる事業者も限られるでしょう。
バッテリーの高性能化によって解決されるでしょうが、まだ少し時間がかかると思われます。
燃料電池車にも、水素ステーションのインフラを整備しなければならない課題があったと思います。
ユルマズ氏
その通り。だからこそ、ルートの決まっている商用車に向いています。水素ステーションが日本中に整備されるまでには相当な時間がかかると思いますが、ルートが決まっているバスやトラックは、そのルート上や、車庫に水素ステーションを置いておけば良いので、比較的容易に普及できるでしょう。
インフラ整備のコストが限定されるなら、燃料電池車は魅力的な商品になりますね。
ユルマズ氏
もちろん、EVの普及が急速に進むことも間違いありません。EVは日産自動車やホンダ、マツダなど日本のメーカーも力を入れていますが、世界のメーカーも力を入れています。テスラだけではありません。アメリカのGMは2025年までにEVを30車種投入すると発表していますし、韓国の現代自動車は23車種投入する、ドイツのフォルクスワーゲンも25年までに全生産の20%をEVにすると発表しています。
自動車が進化すると日本の製造業はどう変わりますか?
ユルマズ氏
EVはエンジンがモーターに入れ替わるので、エンジン製造に関わる仕事は減少していくでしょう。従来の車はエンジンから生まれたエネルギーをタイヤに伝えるまでに複雑な駆動伝達部品が多数ありますが、その多くが不要になり、部品点数は約半分から10分の1になると言われています。部品製造のサプライチェーンが縮小していくことは免れません。
一方で、EVはバッテリーを積んで走るパソコンのようなもので、たくさんの半導体が使われます。自動運転車はさらにパソコン化が進みます。これは半導体産業にとっては追い風です。日本はシリコンウエハやレジスト、フッ化水素などの半導体材料が世界的シェアを誇っているほか、半導体製造装置も世界的にシェアを拡大している企業があります。
自動車だけでなく、IoTが進む現代では家電などあらゆるものに半導体は使われるようになりますので、ますます業績は拡大していくでしょう。
バッテリー技術にしろスマートグリッドにしろ、日本はオイルショックの頃から省エネに取り組んで世界的にもトップレベルの技術があるので、脱炭素社会への変革においてはかなり有利だと思います。
社会や生活、産業に変革がもたらされる未来において、働く人たちに変化はあるでしょうか? 例えば製造業に求められる人材はどのようなイメージかお聞かせください。
ユルマズ氏
そうですね、大きな変革の中で業態の変化を迫られる企業も出てくるでしょうが、製造現場については、必要な人材というのは実はこれまでと変わらないのではないかと思います。すでにオートメーション化もかなり進んでいるので、単純作業をロボットへ置き換える余地もそれほど残っていません。
一方で、設備やロボットをメンテナンスしたりする保全業務の人員や高度な技術をもった技術者は、今後ますます重要になってくるでしょう。
高度な技術者や保全マンはこれまでも重視されてきましたので、同じように考えても大丈夫なのですね。
ユルマズ氏
大枠ではその通りですが、実際の働き方はかなり変化があると思います。政府が推し進める働き方改革もそうですし、コロナ禍がもたらしたリモートワークなどのニューノーマルもそうですが、求められるのは効率化です。脱炭素社会も効率化は最優先事項ですので、そこは大きく求められていきます。
つまり働く人に求められるスキルが変わるのではなく、働き方に変化があると。ということは、人材がどう変わるか、ではなく、人材をどのように活用するかに大きな変化があるのですね。実際、日本でも職能によって仕事内容が固定されるジョブ型雇用が導入されようとしたり、働き方改革で柔軟な雇用形態が実現できる人材サービス会社の活用が求められたりしています。製造業でも、DX(デジタルトランスフォーメーション)を進めたいという声が多く聞かれるようになりました。
ユルマズ氏
DXは便利なデジタルツールを導入することばかりを考える人が多いようですが、それは間違いです。デジタル社会への移行の中で、どのようにビジネスモデルを変化させていくかというのがポイントです。ツールはそのための道具に過ぎません。
脱炭素社会への移行のためにスマートテクノロジーを導入したり、無駄な通勤をしないようにリモートワークの環境を作ることはDXと言えるでしょう。
働き方の話も脱炭素社会とつながっているのですね。
ユルマズ氏
そうです。現在よく聞かれるトピックスは、脱炭素社会もDXもIoTもキャッシュレスも働き方改革も、全ては1つに繋がっているのです。いかにわれわれが無駄なコストを削減して効率よく、豊かに生活できるか。その未来を次の世代に残せるか。全てはそのための変革なのです。
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